徒歩日本一周【野宿と宿の比率】について

徒歩日本一周【野宿と宿の比率】について 徒歩日本一周

「野宿と宿の比率はどのぐらいだった?」と聞かれることがあります。

結論からいうと、「半々」でした。

とはいえ、1日おきに交互にやっていたわけではありません。

あくまで僕の場合ですが、宿に泊まる日がずっと続いたり、野宿する日がずっと続いたりと、どちらか一方が長く続くことが多かったです。

なぜ、一方だけがずっと続いていたのかを解説しますね。

この記事を書いた人


大場祐輔 1981年埼玉県生まれ。

大学在学中にプロレスラーの大仁田厚が「徒歩日本一周」に挑戦したことに衝撃を受ける。 卒業後すぐに「徒歩日本一周」に挑戦。

2003年、東京ディズニーランドからスタートし、毎日平均40キロの距離を歩き続ける。

旅先でお金が無くなれば、住み込みでアルバイトをしながら食いつなぎ、スタートから721日目の2005年3月22日、東京ディズニーランドにゴール。 徒歩日本一周をやり遂げた。

同年11月より日本一周記の書籍化のために奔走。 出版社に原稿の持ち込みを開始。

それから5年後、出版が実現。 「信じた道がいつか本当の道になるように―ガチで徒歩日本一周721日の旅―(彩雲出版)」を出版。

「俺が断念したことを彼はやりとげた―大仁田厚さん推薦」


例えば、1日目に宿に泊まるとします。

その翌日も宿に泊まるとします。

さすがに2日連続で宿に泊まると、これが当たり前になってしまい、その後も連続で宿に泊まり続けるパターンに陥ります。

雨風をしのげて、風呂にも入れて、布団で眠れる。

当時は、毎日40キロ以上の距離を歩き続けていたので、休養面を考えれば、野宿よりも宿に泊まった方が、当然ですが疲れはとれます。

人間は一度、快楽を味わってしまうと、そこから戻れなくなることがあります。

宿泊が続いて、この快適さに慣れてしまうと「なんで、この俺が野宿なんかしなきゃいけないんだよ」という思考になります。(笑)。

とはいえ、僕の場合、日本一周の移動手段が徒歩だった為、1日で歩ける距離には限界がありました。

その日の目的地に宿がない場合は必然的に野宿になります。

野宿も慣れてしまうと、ずっと連続して野宿が続いてしまう傾向があります。

例えば、1日目に野宿するとします。

その翌日も野宿するとします。

さすがに2日連続で野宿すると、これが自分にとっての日常に変わってしまい、その後も連続で野宿が続いていくようになります。

宿代が0円であることに慣れてしまうと「なんでわざわざ金払ってまで宿泊しなきゃいけないんだよ」という思考に変わります(笑)。

毎回、良い野宿ポイントがあるわけではないし、天候の影響や騒音なども当然あるので、睡眠不足で疲れが取れない時や風呂に入れない日も続きます。

それでも、意外と平気でいられるから不思議です。

「ランニングハイ」というものがあるように「野宿ハイ」というものがあると僕は思っていて、ずっと野宿を続けていると、体の疲れが逆に心地良い状態に突入していきます。

野宿を続けていると、宿泊する時とは違って「サバイバル感」というか「戦っている感」みたいなものが自分の中で湧き出ていきます。

「俺が休む時。それは死ぬ時。」

もはや、マインドまでおかしくなります(笑)。

次第に自分が、人間を超えて、だんだん野生的になっていく錯覚におちいります。

「今の俺なら野生の鹿と会話できるんじゃね?」と、わりと本気で思ったことがあります(笑)。

野生的なマインドになってくると、自然に対して危機管理能力が研ぎ澄まされていきます。

動物たちが大地震がくる前に先に察知して騒ぎ始めることがありますが、体感的にはそれに近い感覚です。

ある日、歩いていると、突然、空が暗くなり、雷が鳴り始めました。

耳が痛くなるぐらいの大音量の雷のあと、大量の雨が降り出したことがありました。

正直、今までの人生でここまでひどい雨を経験したことがないぐらいでした。

大雨で道路がどんどん池のようになっていく中、周りを見渡すと、歩いている人は誰もいなく、そこには自分だけしかいませんでした。

「そういえば、今日一日、自分以外の人間をまるで見ていない…」

ちょっと野生的になりすぎたせいか、冷静に勘ぐってしまったことがあります。

「もしかして今日が地球最後の日かもしれない…」

実際は、大雨洪水注意報で誰も外出していないだけでしたが(笑)。

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