『日本一周の旅に出たことがある芸能人』をまとめてみました。
今回の記事では、俳優、マルチタレント、ラッパー、プロレスラーの方からピックアップしています。
※ご本人が自分の意思で旅に出ていて、「日本一周」を公言されている方のみを対象とさせて頂いております。
満島真之介(俳優)
沖縄県出身。
2010年10月、舞台『おそるべき親たち』でデビュー。 主な出演作として『11・25自決の日〜三島由紀夫と若者たち〜』『三度目の殺人』『キングダム』『全裸監督』などがある。2022年4月13日よりフジテレビで放送されるTVドラマ『ナンバMG5』に出演されます。
俳優としてもバラエティ番組でもその面白さを発揮している満島真之介さんですが、高校卒業後に上京し、学童保育の保育補助のアルバイトをしたり、映画『ちゃんと伝える』で演出助手を務めていたそうです。
2年ほど東京で暮らしたのち自転車で日本一周の旅に出ます。
2009年の5月から11月までの7ヶ月間、北海道から鹿児島まで全国各地をまわります。
その道中で、姉(満島ひかり)の出演する映画のポスターや看板、雑誌などを目にし、「姉が多くの人を感動させていると実感した。自分も頑張らなくては」と思い、役者の道を志すようになったそうです。
このエピソード自体が、まるでドラマのワンシーンのようでめちゃくちゃいいですよね。
テリー伊藤 (マルチタレント )
早稲田実業高等部を経て日本大学経済学部を卒業。
『天才・元気が出るテレビ!!』『ねるとん紅鯨団』『浅草橋ヤング洋品店』など数々のテレビ番組の企画、総合演出を手掛ける。現在は演出業のほか、プロデューサー、タレント、コメンテーターとしてマルチに活動されています。
クルマ好きとしても知られているテリー伊藤さんですが、学生時代にマツダの『ボンゴ』をキャンピングカーに改造して、日本一周したそうです。
当時の時代背景を考えると、学生でキャンピングカーで日本一周するという、その発想自体が時代を先取りしている感じがあります。
日本一周の経験から、テレビマンとしての下積み時代もロケハンはかなり早かったそうです。自身の遊びの経験を強みにしてしまうところはさすがですね。
GAKU-MC (ラッパー)
1990年 EASTENDを結成。東京パフォーマンスドールの市井由理とのユニットEASTENDX YURIの『DA・YO・NE』はミリオンセラーを記録。
日本のヒップホップ界初の『第46回NHK紅白歌合戦』にも出場。
現在はソロ活動と並行して、桜井和寿とのユニット『ウカスカジー』としても活動中です。
そんなラッパーのGAKU-MCさんですが、キャンピングカーで日本一周ライブツアーを回るなど、自分流のカートラベルを実践していることが評価され、カートラジャパン2019の「カートラアンバサダー」にも選ばれました。
その副賞として、トイファクトリーとオリジナルキャンピングカー「GAKU号」が製作されています。
キャンピングカーでライブツアーをやるようになったきっかけは、元々ラッパーとして日本全国でライブをしていたが、記憶に残っているのは、ステージとホテルの部屋と打ち上げだけで、もったいないと感じたからだとか。
「点から点」だったライブツアーの移動を線にしたいという思いから現在のツアー形態につながっていったそうです。
プライベートでも旅好きで、国内旅行だけにとどまらず、船、飛行機、キャンピングカーを乗り継ぎ、家族で世界一周をされています。
また、熱烈なサッカー好きとして知られており、音楽とフットボールを融合し、人と人とを繋げるMIFA(Music Interact Football for All)を立ち上げています。
GAKU-MCさんは、自分のやりたいことを趣味と仕事の分け隔てなく実現する能力がめちゃめちゃ高いです。
大仁田厚(プロレスラー)
明治大学卒 プロレスラー、タレント、俳優、元参議院議員。 『有刺鉄線電流爆破デスマッチ』などの過激なプロレススタイルで『涙のカリスマ』『邪道』の異名をとる。
これまでにプロレスラーとして、何度も引退、復帰を繰り返されていますが、現在では海外進出もされており、「むしろ生涯現役なのでは?」と思ってしまうほど、アグレッシブに活動をされております。
そんな大仁田厚さんですが、中学卒業後、日本一周徒歩旅行を敢行されています。
自ら新聞社に売り込み取材、月星シューズ(現・(株)ムーンスター)を訪問しスポンサーになってもらい、運動靴をサポートしてもらったそうです。
長崎県庁前から神戸にたどり着いたものの、所持金が尽き、日雇い労働を始めますが、その最中、実家が火事に見舞われ、長崎に戻ることになり、日本一周徒歩旅行は途中で断念されました。
僕は学生の頃、このエピソードを知り、大学卒業後に徒歩日本一周に挑戦することを決意しました。
もともと、プロレスには詳しくなかったので、特別、大仁田厚さんのファンというわけではありませんでした。
ただ、テレビのバラエティ番組や俳優として活動されていたことで、プロレスラーとしての知名度はかなり高かったですし、41歳で高校に入学した時は「この人、すごいな」と感じました。
一般的に旅人と呼ばれている人が日本一周したということであれば、何も感じなかったと思いますが、プロレスラーが挑戦したということが、まるで異種格闘技戦のような感じがして衝撃を受けました。
「日本一周」というと、一般的には「自転車で日本一周」というイメージが大きかったですが、「徒歩」という発想が斬新に感じたことも僕にとっての決定打となりました。
僕の著書『信じた道がいつか本当に道になるようにーガチで徒歩日本一周721日の旅ー』(彩雲出版)の帯には大仁田厚さんから推薦文を頂いております。大仁田厚さんが徒歩日本一周に挑戦していなかったら、今の僕はありません。
大場祐輔 1981年埼玉県生まれ。
大学在学中にプロレスラーの大仁田厚が「徒歩日本一周」に挑戦したことに衝撃を受ける。 卒業後すぐに「徒歩日本一周」に挑戦。
2003年、東京ディズニーランドからスタートし、毎日平均40キロの距離を歩き続ける。
旅先でお金が無くなれば、住み込みでアルバイトをしながら食いつなぎ、スタートから721日目の2005年3月22日、東京ディズニーランドにゴール。 徒歩日本一周をやり遂げた。
同年11月より日本一周記の書籍化のために奔走。 出版社に原稿の持ち込みを開始。
それから5年後、出版が実現。 「信じた道がいつか本当の道になるように―ガチで徒歩日本一周721日の旅―」を彩雲出版から出版
「俺が断念したことを彼はやりとげた―大仁田厚さん推薦」