徒歩日本一周中に途中で金が尽きて、新潟県のスキー場の寿司屋で住み込みでアルバイトをしていたことがある。
自分の担当はホールで、お客さんから注文をとって料理を運んだり、レジ打ちなどの接客の仕事をしていた。
調理場の人たちはイカつい職人さんが多く、その中でも群を抜いて、怖い存在の板前さんがいた。一言でいうと、ラスボスみたいな感じだ。
仕事中、よく怒鳴られていたので、当時は苦手な人というイメージだったけれど、今振り返ると、なんだかんだ可愛がってもらっていたような気はする。
仕事が終わった後、ラスボスとサシで酒を飲む機会が何度かあった。
仕事中は完全に縦社会だったが、一緒に酒を飲んでいた時は対等に接してくれて、仕事以外の話をしてくれた。
①京都の女性と付き合っていたが、いろいろあって別れることになった。ラスボスいわく、「別れて辛い思いするぐらいなら最初から付き合わなければ良かった」
②トヨタのサーフを買って、金をかけてバキバキに改造して乗っていたが、電信柱に思いっきり突っ込んで廃車になった。ラスボスいわく「もう高い車は買わない」
③競馬が趣味で、全国の競馬場をまわる旅をしたことがあるらしい。ラスボスいわく、「昔、夢中になった馬がいて、今はもう引退してるんだけど、北海道の牧場でその馬に出会った時は涙が止まらなかった」
普段は強気のラスボスでも酒に酔うと本音が出るのか、聞いていて面白かった。その中でも個人的に印象的だった話がある。
「仕事をしていると、たまに精神的にどうしようもなく辛くなる時がある。そんな時は、すべてを投げ出して、お前みたいに旅にでも出ようかなって考えることもある。板前っていう仕事は手に職を持っているわけだから、どうにかなる。でも、結局ずっと仕事してんだよな」
いつも強気なラスボスが「仕事をしていて精神的にどうしようもなく辛くなる時がある」と漏らしていたのが俺にとっては意外だった。
ラスボスは酔っ払って真っ赤な顔をしたまま、急に真面目な表情で俺に質問をした。
「お前は日本一周していて、精神的にどうしようもなく辛くなった時、どうやって乗り越えてきた?」
俺の答えはこうだった。
「とりあえず節約とか忘れて、腹一杯メシ食って、ホテルに泊まってぐっすり寝て、考えるのはそれからですかね」
ラスボスは「なんじゃそら?」という顔をしていた。
あの時、なんて答えたら正解だったのだろうかと今でも考える。
おそらく、徒歩日本一周をしている俺に深みのある名言のようなものを求めていたのかもしれない。
でも、ふざけて答えたわけではなく、本当のことだった。
例えば、昔、部活で甲子園に行ったとか、インターハイに行ったという人がいる。いかにも「自分、根性あります」みたいな。社会に出てからも「あの時の辛さに比べたら」と比較するような人。
でもその根性は、毎日、風呂に入れて、三食しっかり食べれて、屋根付きの寝床でぐっすり眠れる環境ありきだと思う。部活だけに集中できるその環境は親の経済力が大きい。
徒歩日本一周の場合、基本的にそういうリフレッシュがない。つまり、当たり前の生活がないというか、普通以下の暮らしになる。
仮にお金があっても、その日、歩いた先に宿がなければ野宿になる。知らない土地で車の音や人の声などで、何回も目が覚めて、安心してぐっすり眠ることはできない。
何日も風呂に入ることができなかったり、買い物する場所がなくて空腹のまま歩き続けることもある。毎日、長距離を歩いているから、足の痛みは悪化し続ける。
しばらくゆっくり休みたくても、だいたいどこもチェックアウトの時間があるので、同じ場所に滞在することもできない。常に移動し続けることになる。どこにいても自分の居場所はない。あと、基本的に孤独。
部活とは違って、もっとサバイバル的な根性が必要になってくる。
そんな状況で「精神的にどうしようもなく辛くなったらどうするか?」と聞かれたら「とりあえず、節約とか忘れて、腹一杯メシ食って、ホテルに泊まってぐっすり寝て、考えるのはそれからですかね」と答えたのは、まんざらふざけた解答ではなかったと思う。
まずは、普通の暮らしに近いことをして、冷静に物事を考えられる状況をつくる。
というのも、腹が減っていたり、野宿が続いて睡眠不足だったりすると考える力すらなくなってしまうからだ。
一旦、冷静になってから、自分の悩みや落ち込んでいる理由を因数分解していく。
冷静になったおかげで、切り替えられる時もあるけれど、それでも引きずる場合もある。
結局、徒歩日本一周を続けていく上での悩みや不安や怒りは、旅をしている自分の心の内で生まれたものでしかなく、最後まで旅をやり遂げることでしか解決できないという結論になる。
とはいえ、精神的にどうしようもなく辛い状況から、一瞬でいきなり180度前向きになることは難しい。
そんな時はどうするか?
自分をごまかしながらでも続けるしかない。
余計なことを一切考えず、ロボットのように前に進む。
足を止めて現実逃避してしまえば、前に進めない後ろめたさから精神的に潰されてしまうから。
複雑に絡まった悩みは、いつしか入口を忘れて出口も見失う。
怒りが悲しみに変わり、感情に振り回されて疲れ果てると、最後は呆れて心に蓋をするようになる。
そんな時に人としての当たり前の優しさにバッタリ出会うことがあると、蓋をしていた心から涙が溢れる。
旅をしているとこんなことを何度も繰り返す。
次第に自分のことを俯瞰的に見ることができるようになる。
今日一日辛い思いをしたところで、1週間後に今日の辛さをリアルに思い出せるかといえば、断片的な記憶でしかない。
どうせ、過去になってしまうのなら、今日の辛さに執着せずに明日にバトンをつなげるために「今日やるべきことをやる」という考え方に割り切ってしまった方が楽なことに気がつく。
自分をごまかしながらでもコツコツ続けていくと、だんだんと精神的な部分をコントロールできるようになってきて、少しずつ前を向けるようになる。
「前を向く」ということは、この先を見据えて自分にとってプラスになる未来を想像できるようになるということだ。
今日のマイナス面ばかりを引きずっていても過去しか見えていないのと一緒でしかない。
とはいえ、引きずる時は引きずる。しょせん、人間なんて感情的な生き物だから。
そんな時はどうするか?
自分をごまかしながらでも続けていくこと。これも技術のうち。
あの夜、ラスボスに聞かれたことを思い出す。
「お前は日本一周していて、精神的にどうしようもなく辛い時、どうやって乗り越えきた?」
「自分をごまかしながらでも続けていくことですかね?」
ラスボスの「なんじゃそら?」という顔が頭に浮かぶ。
今でもたまに考えるときがある。
結局、あの時、なんて答えたら正解だったのだろうか?
答えはきっと、ドブの中。
大場祐輔 1981年生まれ。 大学在学中にプロレスラーの大仁田厚が「徒歩日本一周」に挑戦したことに衝撃を受ける。 卒業後すぐに「徒歩日本一周」に挑戦。
2003年、東京ディズニーランドからスタートし、毎日平均40キロの距離を歩き続ける。
旅先でお金が無くなれば、住み込みでアルバイトをしながら食いつなぎ、スタートから721日目の2005年3月22日、東京ディズニーランドにゴール。 徒歩日本一周をやり遂げた。同年11月より日本一周記の書籍化のために奔走。 数々の出版社に原稿を持ち込みを開始し、断られる。
それから5年後、出版が実現。 「信じた道がいつか本当の道になるように―ガチで徒歩日本一周721日の旅―(彩雲出版)」を出版。
「俺が断念したことを彼はやりとげた―大仁田厚さん推薦」