10代の頃、自分が尊敬していた人たちが口を揃えて言っていたこと。
「やりたいことをやれ」
この言葉を聞くたびに思ったことがある。
「やりたいことをやる」って一体、どういうことなんだろう?
当時、やりたいことが見つからなかった俺には、やりたいことがある人がうらやましくもあり、カッコ良くも見えた。
その後、どうにかして俺にもやりたいことが見つかった。
歩いて日本一周をして、出版社から旅の記録を本として出版することだった。
そして、その本をベストセラーにすることが夢になった。
旅に出てからは、20キロのリュックを背負って、毎日平均40キロ以上の距離を歩き続けていた。
スタート地点である東京ディズニーランドから歩き始めたばかりの頃は、あまりの過酷さに弱音を吐いてばかりだった。
「俺はなんでこんなことをやっているんだろう。普通に生きてたらこんなことやる必要なくね?」
その時、「やりたいことをやる」とは、一体どういうことなのか分かった気がした。
別にやらなくてもいいことをやること。
一般的に考えれば、徒歩日本一周なんてやる必要のないことだ。
やらなくても生きていける。
やりたいことがあっても結局、行動に移せない人のほとんどが、「別にやらなくても生きていけるしな」と考えてしまうからではないだろうか。
でも、もう一度考えて欲しい。
本当に後悔しないかどうか。
やって後悔するのとやらないで後悔するなら、どっちがいいか。
やって後悔した方がマシだと思えるならそれはやる価値があると思う。
「やりたいことをやる」ということは、自分に正直に生きることでもある。
自分をごまかしながら生きていると、その先の人生で、ごまかしたものしかよりつかなくなり、いつか限界がくる。
それこそ、なんのために生きているのかわからなくなる。
自分に正直に生きていれば、本当に求めているものを追いかけることができる。
これは人生にとって、一番の近道だと思う。
約2年かけて歩いて日本一周を達成した時に感じたこと。
すがすがしい人生だなと思った。自分に正直に生きるのは風通しがいいなと思った。
それから旅の記録を書籍化する為に出版社を探して約5年。
一時期は、いつまでたっても叶わない夢にもがき苦しんだことがあった。
叶える為に、たくさんのものを犠牲にした。
夢だけのせいではない。当然、自分にも落ち度はある。
「これで叶わなかったら、残りの人生はないようなもんだな」と考えたこともあった。
何度も心が折れかかったけれど、自分の本が本屋に並んだ時は、人生で一番嬉しかった。
著書→「信じた道がいつか本当の道になるようにーガチで徒歩日本一周721日の旅ー」彩雲出版
当初の予定通り、歩いて日本一周を達成して、旅の記録を出版社から書籍として出版することができた。
でも、まだ終わっていない。
なぜなら、ベストセラーにはなっていないからだ。
本を出版してから、約10年が経過した。
笑っちゃうような話だけど、今でも諦めていない。
何もしなければ可能性はゼロだけれど、何かしら動いていれば、いつかチャンスが巡ってくるかもしれない。
いい歳こいて諦めきれない夢があったり、これから生まれるかもしれない発想、出しきれていない力、使い切ってない運がきっとあるはず。
そうやって、素直に自分に期待できることは、生きがいでもある。
もしも、この先、一生チャンスが来なかったらどうするか?
無駄な努力じゃないのか?
そんな時は、他の誰のためでもなく、自分のためにボランティアしていると思えばいい。
それが無償の奉仕でも構わない。
後悔しないように自分に正直に生きたという結果が残ればそれでいい。
どうせ、人間なんて、病気や事故でいつ死ぬか分からないんだから。
自分として生まれてきたからには、自分として生きていくことが筋道だと思う。
徒歩日本一周を経験して分かった「やりたいことをやるということ」。
一般的に考えれば、別にやる必要がないこと。
やらなくても生きていける。
それでも、あえてやるということ。
他の誰の為でもない、自分だけのストーリーを作るということ。
大場祐輔 1981年生まれ。 大学在学中にプロレスラーの大仁田厚が「徒歩日本一周」に挑戦したことに衝撃を受ける。 卒業後すぐに「徒歩日本一周」に挑戦。
2003年、東京ディズニーランドからスタートし、毎日平均40キロの距離を歩き続ける。
旅先でお金が無くなれば、住み込みでアルバイトをしながら食いつなぎ、スタートから721日目の2005年3月22日、東京ディズニーランドにゴール。 徒歩日本一周をやり遂げた。同年11月より日本一周記の書籍化のために奔走。 数々の出版社に原稿を持ち込む。
それから5年後、出版が実現。 「信じた道がいつか本当の道になるように―ガチで徒歩日本一周721日の旅―(彩雲出版)」を出版。
「俺が断念したことを彼はやりとげた―大仁田厚さん推薦」