徒歩日本一周中に地元の人に泊めてもらった時のこと

徒歩日本一周中に地元の人に泊めてもらった時のこと 徒歩日本一周
徒歩日本一周中に地元の人に泊めてもらった時のこと

徒歩日本一周中に北海道で地元の人に泊めて頂いたことがあり、今回はそのことについて書きたいと思います。

僕が彩雲出版から出版した本(徒歩日本一周の記録)の本編では未公開部分になります。

著書はこちら→「信じた道がいつか本当の道になるようにーガチで徒歩日本一周721日の旅ー」彩雲出版

 

 

細かい地名や名前等は特定されてしまう可能性があるので伏せています。

それではどうぞ。

この旅が始まって以来、初めて地元の人に泊めて頂いた。

これまでも「ウチに泊まるか?メシぐらい出すぞ」と言って頂いたことがあるが、人に甘えることに味をしめたくなかったので、「お気持ちだけで嬉しいです。大丈夫です」と言って丁重に断っていた。

自分の力でなんとかできる時は、なんとかしようと思っていたからだ。

今日は朝から何も食べていなかった。どこを見渡してもコンビニやスーパーのようなものはなく、10時間くらい歩いても何も見当たらなかった。

 

持っていた食料はなくなり、水も大事に飲んでいたが、暑さのため、水分補給が早くなり、底を尽きた。

自動販売機でもあれば、助かるのだが、それすら見当たらない。

日も暮れ始め、空腹と喉の乾きで頭がクラクラしてきた。

現時点でも体調はかなりきつい。

ここから街までは20キロ以上ある。明日もこのまま飲まず食わずの状態で歩けるだろうか。

もう足が言うことを聞かなくなった頃、無人駅を見つけた。

「今日はここで野宿するしかない」と思い、駅に向かって歩いていると、農作業をしているご主人がいたので、ダメもとで聞いてみた。

「この近くに宿泊施設やコンビニはありますか?」

「この辺にそんなもんはねえよ」

やっぱりなと思った。

この時点で、俺は無人駅で野宿することに決めた。

すると、ご主人が思い出したように言った。

「あ、そうだ。そこに老人ホームみたいなもんがあるから、行って聞いてみろ。泊めてもらえるかもしれねえぞ。もし、泊まれなかったら、戻って来い。」

そこは昔、学校だったのが潰れて今は老人たちが集まれる施設になっているらしい。

結局、施設は閉まっていた。

言われた通り、戻ってくると、ご主人は俺に言った。

「俺んち泊めてやるから、ついて来い!」

俺はビックリした。

出会って5分もたっていないヤツを家に入れてくれるなんて、都会だったら考えられないことだ。もし、俺が逃走中の犯人だったらどうするんだ?

ご主人の話だと、この辺りは夜になると熊が出るらしく、地元の人たちでも夜は外に出ないらしい。ここは野宿できるような場所ではないという注意も受けた。

ご主人の後をついて行き、家にお邪魔させて頂いた。

奥さんと5歳の娘さんが、嫌な顔ひとつせずに迎え入れてくれた。

奥さんはすごく話好きで、俺にいっぱい話しかけてくれた。

娘さんは俺の手を引っ張って、家中を案内してくれた。

ご主人は「苺を取りに行くぞ」と言って、庭にあるビニールハウスに俺を連れて行ってくれた。

「青いのは取るなよ。赤いのだけとれな」

ご主人は慣れた手つきで苺をもぎ取っていく。

少し腐った苺があったので「これは大丈夫ですか?」と聞くと、「それはジャム用にするから取っとけ」と教えてくれた。

俺は自分の判断で、苺を選んではもぎ取っていった。

10分ほどで苺を取り終え、その量はパック4個分ぐらいになった。

「遠慮しねえでガンガン食え。苺はな、とりたてが一番うまいんだ。水で洗うと味が落ちるから、多少汚くても土を手で払って食べた方がうまいぞ」

俺は苺が大好きである。一度にこれだけの量のイチゴを食べたのは生まれて初めてだった。空腹だったので最高に美味しく、体が生き返った気がした。

奥さんが「今日はもう遅いから泊まっていきなさい。ウチの近くに納屋があるからそこに泊まるといいわよ」と言ってくれた。

その後、夕食をご馳走になった。

「この魚は俺が釣ったんだ。この山菜はウチのばあちゃんがとってきた。米だってウチで作ったやつだ。この卵もウチで飼っているニワトリのだ。」

ご主人は一つ一つ、説明をしてくれた。

今日の夕飯のすべてが自給自足であることに俺は驚いた。

しかも家までご主人が建てたらしい。

都会の人から見れば、自給自足の生活は憧れがあるかもしれない。

でも、もし、魚が捕れなかったら、もし、米や野菜が育たなかったらと考えると自給自足の厳しさがバカな俺でもよく分かる。食べたらそれで終わりだが、育てる手間はものすごくかかっていると思う。

奥さんが庭に生えているバラを取って、風呂に浮かべてくれた。

入浴剤まで自給自足だ。

すごくいい匂いがして気持ちよかった。

ご主人は言った。

「俺んちは見ての通り、貧乏だ。でもな、心はリッチなんだ」

ご主人はすごくかっこ良かった。

ぶっきらぼうに見えるが、すごく男らしく気前の良い人だった。

翌朝、朝食までご馳走になり、お弁当まで作って頂いた。

俺が「本当にありがとうございました」と何度も頭を下げると、「おう、また会おうな」と言って、俺を送り出してくれた。

別れ際、住所の交換をした。

旅が終わったら手紙を送るつもりだ。

追記

徒歩日本一周の旅が終わってから、お礼の手紙を送りました。

書籍を出版後、本も郵送させて頂きました。

この記事を書いた人


大場祐輔 1981年生まれ。

大学在学中にプロレスラーの大仁田厚が「徒歩日本一周」に挑戦したことに衝撃を受ける。 卒業後すぐに「徒歩日本一周」に挑戦。

2003年、東京ディズニーランドからスタートし、毎日平均40キロの距離を歩き続ける。

旅先でお金が無くなれば、住み込みでアルバイトをしながら食いつなぎ、スタートから721日目の2005年3月22日、東京ディズニーランドにゴール。 徒歩日本一周をやり遂げた。

同年11月より日本一周記の書籍化のために奔走。 数々の出版社に原稿を持ち込む。 

それから5年後、出版が実現。 「信じた道がいつか本当の道になるように―ガチで徒歩日本一周721日の旅―(彩雲出版)」を出版。

「俺が断念したことを彼はやりとげた―大仁田厚さん推薦」

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