「日本一周は何もできないヤツがすることだ」と言われた時のこと

「日本一周は何もできないヤツがすることだ」と言われた時のこと 日本一周

徒歩日本一周中に出会った人にこんなことを言われたことがある。

 

「日本一周は何もできないヤツがすることだ」

 

ハッキリ言って、ムカついた。

 

毎日20キロのリュックを背負って40キロ以上の距離を歩いてきただけに本当にはらわたが煮えくり返るような思いだった。

 

それから何日間は、ずっとイライラが消えなかった。

 

ただ、よくよく考えてみれば、自分に関しては「確かにそうかもな」と腑に落ちた部分もあった。

 

日本一周の動機は人それぞれだけど、自分の場合は、元々、本を出版することが目的で、人生に何かしらの実績が欲しくて旅に出たパターンだった。

 

他に何かできることがあれば、こんなことに挑戦する必要はなかったかもしれない。

 

今までの旅の苦労を全否定されたような気分だったが、実際、言われたことは的を得ていた。

 

旅が終わってから、才能なし、コネなし、金なしの状態で、出版社を見つけるまでに5年かかった。

 

当時は、就職してしまうと時間に融通がきかなくなると思い、フリーターをやりながら、原稿を編集しては出版社に持ち込みをしていた。

 

自分のやり方も悪かったのかもしれないが、出版までの道のりはあまりにも遠く、雲をつかむような話だった。

 

20代も後半になっても、本の出版もダメ、社会人としてもダメ。

 

「このままでいいのかな」という気持ちにもなってきた。

 

せめてどちらかうまくいった方がいいのかなと思い、就職することにした。

 

朝から晩まで仕事漬けで、会社から社会人としてのノウハウを植え付けられ始めた頃には「このまま一生、出版できないまま、終わるだろうな」と悟った。

 

結局、諦めきれず、入社9ヶ月で退職。30代を目の前にしてフリーターに戻り、人生を賭けてもう一度、挑戦することにした。

 

本さえ出版できれば、残りの人生、最悪でもいいと思った。

 

せっかく就職した会社をドロップアウトすると、家族や友人からも、笑われてバカにされたり、批判を受けることも多かった。

 

「まだ、そんなことやってたの?」

 

「もう一生、出版できねーよ」

 

「いい歳して恥ずかしくないの?」

 

「夢とかもいいけど、まずは社会人としてちゃんとした方がいいよ」

 

結果を出せていないだけに何も言い返せず、「いつか絶対見返す」と強く思うことだけが当時の自分を支えた。

 

ぶっちゃけ、徒歩日本一周していた頃よりも、この頃が一番、精神的にきつい時期でもあった。

 

出版できるのか、できないのか、俺の人生はどっちに転がるんだろうか?

 

もし、出版できずに終わるとしたら、俺が今やっていることは、デパートでおもちゃを買ってもらえない子供が、足をバタつかせて、ダダこねているのと何も変わらないような気がした。

 

ただ、未練がましいだけで、現実を受け止められない弱い自分。

 

「情けない人生だな」と思った。

 

会社を辞めてから1年後、ついに念願の出版が決まった。

 

その日の帰り道、空に向かって両手を高く振り上げて、一人でバンザイをしたのをよく覚えている。

 

本の発売に向けて編集作業していた時も、表紙をどうするかなどの打ち合わせをしていた時も、どこか油断できない気持ちがあった。

 

というのも、人生いつどこで何が起きるか分からない。せっかく決まった出版も何かをキッカケに急になくなってしまうことだってあるかもしれない。その覚悟は常に持っていた。

 

それだけに完成した自分の本を実際に手に取った時は、涙が出るほど嬉しかった。

 

今までこらえてきた悔しかった思いのすべてが、一気によみがえってきて、「悔し涙」に近いような気分だった。

 

「これでやっと見返せる」と思った。

 

本屋に本が並んだ頃、今まで自分のことを批判してきた人間に「よかったね」と声をかけられた。

 

それが自分にとっては気に食わなかった。

 

簡単に手のひらを返されたような気分だったからだ。

 

これまで、何かあるごとに「いつか絶対見返す」と心に誓ってきた。

 

そもそも「見返す」ってなんなんだろう?と疑問に思った。

 

過去にマウントを取られた相手に対して、一人一人順番にマウントを取り返しにいくことか?

 

今振り返ると、「いつか絶対に見返す」という気持ちの中にどこか復讐の念があったと思う。

 

結局、俺は、誰かを見返したかったわけじゃなくて、あの時、何も言い返せなかった自分自身を見返したかっただけなのかもしれない。

 

それに気が付いた時、自分の中のわだかまりがすべてが溶け、復讐の念は消えた。

 

徒歩日本一周が終わって、本を出版した今でも「何もできない自分」を背負いながら生きている。

 

普通の人が当たり前にできることを自分ができなかったりすると、「俺って本当にダメなヤツだな」と思ったりすることもある。

 

ところが、最近は「それも悪いことでもないな」と思えるようになった。

 

「何もできないヤツ」というのが、一般社会から需要がないわけじゃない。

 

なぜなら「できない」ということを人の何倍も経験しているから。

 

自分より下の人間に優越感を覚えて、マウント取ろうとするヤツよりも、同じ目線で「できない」気持ちを理解できることの方が、よっぽど需要があるんじゃないだろうか。

 

自分の経験をほんの一瞬でもいいから、同じ境遇にいる誰かに役立てることの方がよっぽど価値があると思う。

 

「日本一周は何もできないヤツがすることだ」

 

旅が終わった今でも、自分に関してはその通りだと思っている。

 

しかし、何もできないまま終わるつもりはない。

 

自分にできることを探し続けていく。

この記事を書いた人


大場祐輔 1981年生まれ。

大学在学中にプロレスラーの大仁田厚が「徒歩日本一周」に挑戦したことに衝撃を受ける。 卒業後すぐに「徒歩日本一周」に挑戦。

2003年、東京ディズニーランドからスタートし、毎日平均40キロの距離を歩き続ける。

旅先でお金が無くなれば、住み込みでアルバイトをしながら食いつなぎ、スタートから721日目の2005年3月22日、東京ディズニーランドにゴール。 徒歩日本一周をやり遂げた。

同年11月より日本一周記の書籍化のために奔走。 数々の出版社に原稿を持ち込む。 

それから5年後、出版が実現。 「信じた道がいつか本当の道になるように―ガチで徒歩日本一周721日の旅―(彩雲出版)」を出版。

「俺が断念したことを彼はやりとげた―大仁田厚さん推薦」

タイトルとURLをコピーしました