徒歩日本一周の旅が終わってから、20年以上の月日が流れた。
ここで質問。
「当時の旅で使用していた物は今でも残っているのか?」
こたえ:「残っていない。」
「普通、そういうものは思い出の品として大事に保管してあるものじゃないの?」
「でも、残っていない。」
では、なぜ残っていないのかを思い出の品と共に解説していこう(なんだそれ)。
徒歩日本一周の旅で使っていた思い出の品たち
靴
出発からゴールまで履いていた靴の足数は、確か7足だったと記憶している。
当時、ウォーキングシューズはおじさんっぽい靴しかなかったので、ダサいからあまり履きたくなかったというのもあり、街ばき用のスニーカーを履いて歩いていた(絶対におすすめしない)。
徒歩日本一周といえば、移動手段は当然歩きになるわけで、旅をしていた時は毎日40キロ以上歩いていた。
自分の持ち物の中でも、特に靴には愛着がわいていた。なぜなら「共に戦った同志」とも言えるからだ。
出発当初は、こんなに何度も靴を買い換えるとは思ってもいなかった。
実際、毎日40キロ以上の距離を歩き続けると、新品の靴でも1ヶ月を超えたぐらいから、かかとに穴があき始める。
最初は「これは記念に取っておくべきだ」と思い、新しい靴を買い換えるたびに履き潰した靴をコンビニから配送で実家に送っていた。
これがさすがに5足目ぐらいになってくると「これ本当に全部取っておく必要あるのか?」という疑問が出始めた。しまいには「もうキリねーよ」という気持ちにもなった。
しかし、1足目からずっと実家に配送を続けていたことから、もはや引き返せないところまできてしまっていたというのもあるし、ここまできたら最後までやり遂げたいという、俺の中の「継続はチカラスイッチ」が発動して、最後まで配送し続けた記憶がある。
旅が終わってから、何日かたった時のこと。
ただでさえ狭い自分の部屋に泥だらけでボロボロの靴が7足も転がっている状態を見て、「なんで俺は、もう履けない靴を7足も持ってるんだろう?」と思った。
「汚いし、邪魔だから全部捨てよう」
7足まとめてゴミ袋にぶち込んで断捨離した。
「今まで実家に配送し続けた送料を考えたら、1足買えたわ」と思った。
こうして「共に戦った同志たち」は俺の前から姿を消した。
リュック
出発前にノースフェイス原宿店で購入した。サイズは90リットル。
とりあえずデカいサイズのリュックを買っておけば間違いないだろうと思って購入した。当時の価格は確か4万円ぐらいだったと思う。
当時はまだインターネットが今ほど普及していなかったのもあり、日本一周でお手本になるようなサイトは少なかった。
特に「徒歩日本一周」となると、検索してもほとんど出てこなかったような記憶がある。
一人旅やアウトドア経験のなかった俺は、とにかく思いつくものをすべて買ってリュックに詰め込んでいった。
あれも必要これも必要とやっていたら最終的には90リットルのリュックがパンパンになった。
自分の部屋で背負ってみると、ちょっとでも気を抜くと後ろに引っくり返ってしまうぐらいの重さになった。
「さて、どうしたもんか」と悩んだところ、「キャリーに載せて引けばいいんじゃね?」という結論に至った(本当は荷物を減らすべき)。
早速、ホームセンターで1000円ぐらいのキャリーを買った。
自分の部屋で荷物を載せて1メートルぐらい引っ張ってみたら「これは楽だわ」ということになり、それ以上の試験的なことは何もしないまま、徒歩日本一周の当日を迎えた(適当すぎる)。
旅が始まり、実際に路上でキャリーで引っ張りながら歩いてみると、道路の路面は思った以上にデコボコしており、キャリーのタイヤがつまずくたびに荷物の重さでバランスを崩して引っくり返り、その都度、荷物を起こす作業が面倒だった。
歩道橋などの階段があると、結局持ち上げるハメになったり、歩いているとキャリーを引っ張る腕がやられたり、前傾姿勢になりながら引っ張るため、腰をやられたり、とりあえず体のあちこちがやられた。
さらに追い討ちをかけるように「上り坂は地獄」で、逆に「下り坂が怖い」という状況におちいった。
キャリーで引っ張れば楽に荷物を運べると考えていたが、実際はデメリットの方が多く感じた(今振り返ると、値段の安いキャリーだったので耐重量を余裕で超えていたような気もする)。
とはいえ、背負って歩くには荷物が重すぎるという理由で、旅が始まって一週間足らずで荷物の半分以上を実家に送り返し、キャリーを使うのを辞めた。
出発前にあれこれ悩んで買って集めた荷物の半分は必要なかったと思うと、その分を旅費に回せば良かったとかなり後悔した。
それからずっと荷物の軽量化を続けながら背負って歩いていたが、さすがに90リットルのリュックはデカすぎて邪魔くさく感じることが多かった。
例えば、健康ランドに泊まったりするとロッカーにリュックが入らなくて受付で預かってもらうことになったり、一人用のテントの中にリュックを入れるとテントのスペースの半分がリュックになってしまったり(ほぼ添い寝の状態)、台風の日にリュックの側面に風の抵抗を受けすぎて体が回転しそうになったりした。
そして何よりも小柄で華奢な体に90リットルのリュックを背負って街中を歩くのは、かなり目立っていた。
日焼けもしていたので、いかにも「旅してる感」が出ていて、すれ違う人からジロジロ見られてストレスだった。
旅が後半に近づいていた頃、リュックの肩にかける片方のバンドが劣化して切れるという事件が起きた。
片方だけのバンドで背負って歩くのはあまりにもストレスになり、田舎のカバン屋さんみたいなところで、45リットルぐらいの安いリュックを4千円ぐらいで買った。
旅もあと少しで終わるし、安いのでいいだろうと思って買ったリュックだったが、これが意外と快適だった。
今まで使っていた90リットルのリュックは、リュック単体だけでもかなり重かったので、リュックを買い換えた瞬間、だいぶ軽くなった。
荷物自体は旅の中で、ずっと軽量化を意識し続けていたので、中の荷物もすべて入った。
そして、何よりも「旅してる感」が少し減ったので、あまり目立たなくなった(自分がそう思っているだけで、実際は目立っていた)。
「最初からこれ買えば良かったんじゃね?」
俺の中の「後悔懺悔スイッチ」が発動した。
その後、古いリュックを実家に送って、快適なバックパッキング生活を続けて、二代目の安いリュックでゴール。
旅が終わってからも二代目のリュックは普通に使っていたが、日常使いには大きすぎるということで、どこかのタイミングで断捨離した。
旅の終わり頃に買い換えたリュックだったので、捨てる時はそれほど思い入れもなかった。あと安かったし。
一方で初代の90リットルのリュックには様々な思い入れがある。旅のほとんどの時間を共にしてきたし、壊れるまで使ったわけだから、いわば「旅の戦友」に近い。
「こっちは記念に取っておこう」と物置で保管していた。
ところが、物置の中でスペースをとるのと、リュックそのものが自立しないから縦置きができず、それぞれ高さがバラバラの荷物の上に斜めに載せて保管するしかないという邪魔さ加減だった。
たまに物置のドアを開けた瞬間、上から降ってくるということが何度もあった。
旅で使っていた期間よりも、物置で保管している期間の方が長くなった頃、俺の中で「旅の戦友」という記憶から徐々に「物置の中で最も邪魔くさい存在」という記憶に塗り替えられていき、最終的に断捨離した。
おかげで物置のドアを開けても、上から降ってこなくなった。
キャンプ用品(テント、寝袋、自炊アイテム)
キャンプ用品は、まだ使える物はリサイクルショップに売り、もう使えそうにないものは処分してしまった。
せっかくなので、各ギアにそれぞれについての思い出を書いておこう。
テント
テントは初代、二台目、三代目と、最終的には3個使った。
出発前にアウトドアショップにテントを見に行った時、ディスプレイされている一人用のテントを見て「こんな小さいテント誰が買うねん」と謎に思ったのが正直な感想。
それまでファミリー向けのテントしか見たことがなかったので、一人用のテントがあまりにも小さく見えた。
他も見てまわった結果、スポーツ店で一番安い2〜3人用のテントを買った。たぶん5千円ぐらいだったと思う。ホームセンターとかでも売ってそうなやつ。
出発してから気がついたことだが、大きいテントは重いし、リュックの中でスペースをとる。無駄に大きくて重いものを運んでいる気がしてならなかった。それに比べて一人用テントは小さいし軽い。
旅に出て初めて一人用テントの偉大さを知った。
一人旅やアウトドアの素人がなんの知識もなしに買うとこういうこともある。普通に買い物に失敗したと思った。
結局、数回使った程度で実家に送り返した。
その後、「こんな小さいテント誰が買うねん」とバカにしていた一人用のテントを買った。
二代目のテントは確か6千円ぐらいだったと思う。初代のテントと比べて、軽いし小さいし、かなり快適になった。やはり一人用のテントは偉大である。
北海道では二代目のテントが活躍しまくった。旅人が多く、無料のキャンプ場も多かったというのもある。それこそ歩いても歩いても何もないような土地があるので、野宿もたくさんした。
途中でお金がなくなって住み込みのアルバイトをしていた時、仕事が休みだったので荷物の整理をしていた。
テントがかなり汚れていたので、綺麗にしたいなと思った。
何を思ったか普通に寮の洗濯機にテントをぶちこんで洗った。
脱水後、取り出したらテントの生地が心なしかフニャフニャになった。
それからしばらくして、同じ洗濯機で衣類を洗濯したら白いTシャツが心なしか黒ずむようになった。
俺が「なんか洗濯したら黒くなったんだけどー」と言ったら他のバイト仲間も「俺も黒くなった」「俺も」「俺も」とたくさんの声が上がった。
当時は誰にも原因は分からず、「何かの呪い」かと思っていたが、しばらくしてから「俺がテント洗ったからか!」と気がついた。
家事の素人が洗濯すると、こういうこともある。
再出発してからフニャフニャになったテントをしばらく使っていたが、雨漏りが目立ってきた。
その後、新潟で住み込みのアルバイトをして再出発のタイミングで、新しいテントに買い換えた。これで三回目の購入となる。
それまで新潟のスキー場で4ヶ月間住み込みのアルバイトをしていた。山奥で働いているから、金もほとんど使わなかったので、そこそこのお金が貯まっていた。
金銭感覚がバグっていたのだろうか。アウトドアショップで5万円ぐらいする一人用のテントを買った。
さすがに値段が高いだけあって、二代目よりもコンパクトでびっくりするぐらい軽かった。しかも防水性もバッチリ。軽量化にお金をかけたという感じ。
テントが5万円だとしても、仮に一泊5000円のビジネスホテルに10回泊まったと考えたら、野宿を10回以上すれば余裕で元はとれる。
実際に使ってみて感じたのは、リュックに入れて歩いている時は軽くて快適だが、野宿する時は、もっと安いテントでも良かったような気がした。
二代目のテントは値段も安かったので「いつ捨てても良い」という気持ちで雑に使えた。
野宿して朝起きた時にテントに水滴がつく。本来は拭いたり乾かしたりしないとカビが生えたりするのだが、面倒臭いからそのまましまっていた。どんなに汚れてもまったく気にしなかった。
逆に値段の高いテントの場合は、せっかく良いものを買ったから雑に扱ってはいけないという気持ちになり、ハードな使い方は避けるようになり、多少のストレスがあった。
そういう意味では、洗濯機にぶちこんで生地がフニャフニャになった二代目のテントの方が俺には合っていたのかもしれない。
寝袋
寝袋に関しては、出発前に購入したものをそのまま使っていた。これひとつのみで買い換えることもなかった。
出発前にアウトドアショップに行った時、素人の俺はどんな寝袋を買えば良いか分からなかった。
なるべく値段の安いもので探していると、「マイナス30°Cまで耐えられる」というキャッチフレーズの書かれた寝袋を発見した。
「日本の冬なら余裕だろう」と思って購入した。
実際に旅に使ってみた率直な感想は、一言でいうと大きくて重い。
リュックに入れるとスペースをとるし、リュックの外にくくり付けると目立つ。毎日持ち運ぶには邪魔くさい存在だった。もう少し軽くてコンパクトなものでも良かったのかなと思った。
出発したばかりの頃、千葉の4月の気温で初めて野宿した時にこの寝袋を使った。
ところが、寒さで何度も目が覚め、ブルブル震えながら朝まで過ごす結果になった。
「マイナス30°Cまで耐えられる」と書いてあったのに嘘つき!と思った。
今振り返ると、筋肉痛がひどかったのでアンメルツヨコヨコを全身に塗って寝ていたのが原因だったのかもしれない(当時は完全に寝袋のせいだと思っていた)。
その後しばらく「マイナス30°Cまで耐えられる」とは、一体どういう条件を言っているのだろうと考える日々が続いた。
重ね着で厚着をして寝袋にくるまった状態で「マイナス30°Cまで耐えられる」のか?
それとも全裸で寝袋にくるまった状態で「マイナス30°Cまで耐えられる」のか?
果たしてどっちなんだろうか?
全裸の条件でないと納得できない俺がいた。
今ならスマホで簡単に調べられるが、当時はガラケーの時代で携帯で検索するという習慣がなかったので「旅が終わったら調べよう」と真剣に考えていた。
あれから20年以上たったが、今でも調べていない。だってもう旅終わってるし。もはやどっちでも良いというか、「今さら調べたところで別に」みたいな感じ。
自炊セット(ガスバーナー、鍋など)
最終的にほとんど使わなかった。使っても数回だったような気がする。
出発前は自炊した方が食費の節約になると思っていた。
毎日40キロ以上の距離を歩くと、ハッキリ言って自炊する体力はないし、俺はそもそも料理ができなかった。
一人分の量で味も満足できるような食事を作るにはそれなりの料理のレベルが必要になる。
出発前、ガスバーナーと燃料と鍋、まな板、包丁、箸、スプーンなどを一式揃えたが、これだけでもかなり荷物になる。ここに調理用の調味料や食糧が加わるとさらに荷物は増える。
歩き旅の場合、荷物を自力で運ばないといけないので、使えないものを持ち運ぶことがストレスになる。
それだったら、コンビニやスーパーで手軽に安く買えるものを食べた方が良いということになり、出発してすぐに自炊セットを実家に送り返した。
旅の途中で、「やっぱり自炊セットは必要かな」と思い直し、一度、実家から宿に送ってもらったことがある。
結局、料理ができないからコンビニでカップ麺を買って、ガスバーナーでお湯を沸かして食べたりとかそのレベルだった。
「だったらコンビニでお湯もらえば良くない?」ということになり、またもや実家に送り返した。
歩き旅の場合、本当に田舎すぎて何もない場所もある。日によっては歩いても歩いてもコンビニやスーパーが見つからない時もある。
そういう時のために本当は自炊セットはあった方がいいのかもしれないが、俺の場合は常にリュックの中に食パンを一袋入れておいた。計算しながら食べて、空腹はひたすら我慢した。
日本一周中は、節約も含めて飽きるほどに食パンを食べた。
おかげで、旅が終わってから生の食パンが10年ぐらい食べられなかった。
なぜなら日本一周中にリュックの中で日差しを浴び続けた生温かいあの食パンの匂いを思い出すからだ。
今では問題なく食べれるようになった。むしろよく食べる。最近は米の値段が高くなったので、食パンに置き換えるようになった。
「また節約でパン食ってのかよ」と自分でも思う。
雨具(カッパ)
最終的にカッパは3着使った(上の写真は、念願のゴアテックスのカッパを着てイキっている様子)。
出発当初、カッパではなく「ヤッケ」というものを着ていた。
本来では庭作業などで汚れ防止や防風対策で着るものらしい。若干の撥水性がある程度。当時は上下で1000円ぐらい買えて、ホームセンターとかに行くと売っているやつ。
なぜ、ヤッケを選んだかいうと、そもそもこれをカッパだと思い込んでいたからだ。安いに越したことはないと思っていた。
もともとアウトドア初心者だから、登山やハイキングする人が着ているゴアテックス(完全防水)のカッパを知らなかった。
ということで、初代カッパは、カッパではなくヤッケだった。これが初代カッパ(の代わり)となる。
東京ディズニーランドから出発し、海沿いを歩いて北上。このヤッケのまま北海道まで行った。
大雨の日もこれを着て歩いていたのだから、我ながら低コストでやっていたと思う。
出発から3ヶ月ぐらいたつと、さすがに撥水性はなくなり、雨水が染みるようになってきた。
「そろそろ、ちゃんとしたカッパを買わないときついだろう」と思い、北海道の作業着屋さんで上下で4000円ぐらいのいわゆる普通のカッパを買った(これが二代目)。
北海道には梅雨がないと言われている。
実際には、雨が降りそうで降らないみたいな日が多かった。
土地によっては1メートル先が見えないぐらい霧が多い日などもあり、ハッキリしない天気が続いていたので、丸一日カッパを着ながら歩くことが多かった。
普通のカッパを着ながら歩いた感想としては、確かに雨がインナーまで染みてこないのは認めるが、とにかく蒸れて汗だくになって、最終的には汗が冷えて寒くなるいうことだ。
北海道には旅人が多くいた。雨の日はゴアテックスのカッパを着ている人をよく見かけた。ゴアテックスは完全防水で蒸れにくい素材で作られている。
「次に買うならはゴアテックスだな」と決めていた。
その後、新潟で住み込みのアルバイトした後、金銭感覚がバグっていたのもあり、ノースエイスでレインスーツ上下(三代目カッパ)とハイキングシューズのようなものを買った。すべてゴアテックスで揃えた。
生まれて初めてゴアテックスのカッパを着た感想は、今まで着ていたカッパに比べて格段に蒸れにくく、快適だった。最初からこれを買えば良かったと思った。
ちなみに徒歩日本一周の最終日も俺はカッパを着てゴールしている。
徒歩日本一周のような旅をするのであれば、カッパはゴアテックスをおすすめしたい。
しかし、歩き旅の場合、靴はゴアテックスでなくても良い気がする。
カッパと一緒に買ったゴアテックスの靴は、確かに雨の日は快適ではあった。余裕で水たまりに靴を突っ込んで歩けた。
その頃の俺は、毎日50キロ以上歩いていた時期だったので、歩きはじめて一ヶ月ぐらいでカカトに穴があき、水が侵入して防水もクソもなくなった。値段も高かったので壊れた靴をそのまま履き続けたせいで、結果的に足を痛めた。
靴は消耗品になるので、安い靴をこまめに買い換えた方がいいと個人的には思う。
ゴアテックスのカッパに関しては、旅が終わった後も愛用していた。
徒歩日本一周中は雨の日はカッパを着ていたので、傘を使う習慣がなかったので、旅が終わった後も「雨の日はカッパを着るもんだ」と思い込んでいた。
旅が終わってから、雨の日に傘を使わずにカッパを着て駅まで行って電車に乗っていたら、俺が立っているスペースの地面だけ水たまりができていた。カッパが弾いた雨水がそのまま下に落ちたのだろう。
周りを見渡すと傘をもっている乗客ばかりで、「そういえば、一般人は雨の日に傘を使うのか」と思い出した。
ジーンズ
出発前にエヴィスのリジットのジーンズを購入した。バックポケットにかもめのマークがペイントされている。
2000年代初期はこのデニムが流行っていた。
徒歩日本一周の旅で、このジーンズを育ててみることにした。
ゴールする頃にはカッコいい色落ちになることを期待して、毎日穿いた。
1ヶ月ぐらいのタイミングで洗濯を繰り返していて、最初の1年間はとにかく穿きまくった。
2年目以降はゴアテックスのカッパ上下を手に入れたこともあり、だんだんとジーンズを穿かなくなっていった。
理由としては、天気が悪い日は、朝からカッパ上下を着て歩くことが多く、ジーンズに比べてカッパの方が軽くて動きやすかったので、機能性的に快適な方に流されてしまったのもある。
真夏はショーツを穿くようになり、1年目に比べて履く機会はだいぶ減ってしまった。
自分で穿いているとあまり気が付かないが、住み込みでバイトをしていた時、バイト仲間からも「いい色落ちのジーパン履いてるね〜」と褒められることが多かった。「旅が終わったらそのジーパンちょうだいよ」と言われることもあった。
ちなみに使い回しの写真なうえに比較も分かりずらいけれど、出発したばかりのジーパンの色がこれ。
1年後。
分かりにくいからもう一回いこう。
↓これが‥
↓こう!
同じことを2回やっても分かりずらさは変わらないが、だいぶ色落ちしているのは分かってもらえると思う。
旅が終わった後も普通に穿いていたけれど、自分でここまでジーンズをエイジングすると満足感もあるけれど、それと同時に反省点も出てくる。
例えば「もうワンサイズ下げて買えば良かったな」とか。
旅をしていた頃は、当時のトレンドとして太めのパンツが流行っていたので、オーバーサイズで穿いていた。旅が終わってしばらくたつと、スキニーパンツなど細めのパンツが流行り始めていた。
色落ちに関しても、財布と携帯をジーンズの前ポケットに入れていたので、そのアタリがくっきり出てしまっていて、「これは失敗したな」という反省点もある。
そのうち反省点ばかりに気になってしまい、徐々に穿かなくなり、お金がない時にセカンドストリートに売りに行ってしまった。
出発当初からゴリゴリのリジットのデニムだったので、重くてゴワゴワするし、正直、夏にこのジーパンを穿きながら歩くのは暑すぎて苦行だった。
エヴィスのジーンズが流行っていた時期に短期間でここまでガッツリ穿いて色落ちした人は少ない方だったと思う。野宿する時もジーンズを穿いたまま寝袋にくるまって寝ていたぐらいだし。
日本のいろんな土地の空気や泥や埃を浴びながら穿いていたわけだから、日常生活で着るよりも色落ちは早かったと思う。
後日、セカンドストリートに行ったら、天井に近い高さの壁に他のヴィンテージデニムと一緒にディスプレイされていたのを見て、誇らしい気持ちになった。
何度か店内を覗きにいくうちになくなっていたので、おそらく売れてた模様。
もしかしたら俺の徒歩日本一周ジーンズを今も誰かが履いてくれているかもしれない。いや、履いてないかな。もう20年たってるし、分かんないけど。
なぜ思い出の品なのに捨てられるのか?
ということで、当時の旅の愛用品は何も残っていない。
「普通、そういうものは思い出の品として大事に保管してあるものじゃないの?」
と思うかもしれない。
反撃させてもらうと「普通」は人それぞれ。
徒歩日本一周したことがない人の「普通」と徒歩日本一周したことがある人の「普通」は違う。むしろ統一されていないのが普通。
「じゃあ俺の普通って何?」という話をしたい。
先にも書いたが、徒歩日本一周の旅に出たのが20年以上前の話。
今みたいにネットで「徒歩 日本一周」とか「歩いて日本一周」で検索してもほとんど出てこなかった時代。
つまり、お手本がなかった。しかも一人旅やアウトドアの経験もないし、丸一日ひたすら長距離を歩いた経験もない。
そんな状況で徒歩日本一周の旅に出るとなると、自分で考えながらやっていくしかない。
出発前にあれも必要、これも必要と思いつくものをすべてリュックに詰め込んだらものすごい重さになった。
歩き旅は荷物を自力で運ばなくてはならない。しかも日常では考えられないほどの距離を歩くことになる。
「荷物=体への負担」と理解するのは旅が始まってからのこと。
自分が歩いて運べる程度の重量でなければ、結果的に自分の首をしめることになる。
「この重さでは長距離は歩けない」と判断し、荷物を軽量化することにした。使わないものはどんどん実家に送り返した。
ところが、減らしても減らしてもまだ重い。もっと長い距離を歩けるようにするためには荷物を極限まで軽くするしかない。
極限とは?
荷物を1gでも軽くすることである。
例)
①地図の必要なページ以外はちぎって全部捨てた(スマホの時代じゃなかったので、当時の地図は本だった)。
②野宿用の石鹸や歯磨き粉を小さいものに変更。普通サイズのものしか売っていない時は、半分捨てて小さくして持ち歩いた。
③下着をワンサイズ小さいものに変更(着てる分も含めて合計3着分)。
それ以外にも荷物を軽くするために「これ、なくてもいけるんじゃね?」と思ったものはとりあえず一旦捨ててから様子をみる実験もした。
実験1:「野宿をする時にテントの中に敷くマットっている?」
こたえ:いる。
理由:地面がボコボコの場所にテントを張ると、寝る時に背中が痛いから。
実験2:「そもそもパンツっている?」
こたえ:いる。
理由:夏場に野宿が続くと風呂に入れない日が続く。炎天下で汗をかきながら歩いていると、最終的に汗がたまる場所は股ぐら。ノーパンだと汗を吸わないので、股ぐらがかぶれて痛くて歩けなくなるから。
旅をしていた当時は「荷物は1gでも軽く、1mmでも小さくすること」を常に考えていて、神経質なほどに荷物の軽量化を追求していた。
「何もそこまでしなくても‥」と思われるかもしれないけれど、むしろ、それ以上やらないと荷物は軽くならない。
自分でも「どうかしてるな」と思ったことがある。
100円ショップで野宿用に石鹸を買って店を出た瞬間に地面に叩きつけて半分にカチ割り、割れた小さい方の石鹸をリュックにしまって、割れた大きい方の石鹸を店の前のゴミ箱にぶち込んで捨てることが当たり前になっていた時は、相当いかれてんなと思った。
そんないかれた世界で生きてきた俺にとって、「もう使わないのならいつまでもとっておいてもしょうがないよね」となってしまうのは自然なこと。
これが徒歩日本一周を経験した俺にとっては普通のことなのである。
それでも「靴一足くらいは記念に残しておいてもいいんじゃないの?」と思うかもしれない。
残しておいても、もうボロボロすぎて履くことはないし、たまに人に見せる時ぐらいしか出番はないと思う。
仮に「これが徒歩日本一周で履いた靴だよ」と見せたところで、俺が相手の立場だったら、手にとった瞬間「すげー!かかとが削れてボロボロだー!」とか最低限のリアクションはとると思うが、せいぜいちゃんと見るのは6秒ぐらいのような気がする。
その後、気を遣って10秒ぐらい延長して「へえ〜‥」とか「すげえ‥」とか言いながら、最終的にはそっとテーブルに置いて終了。
そのたった6秒のために20年以上も保管しているのは割に合わない。
さすがに20年も保管していれば劣化する。それを込みで「こんなにボロボロになるまで履いた」とアピールするのは、「自分に正直に生きる」モットーにしている俺としてはちょっとモヤモヤする。
一時期、「ミニマリスト」という言葉が流行ったけれど、以前から一人旅をしている人間は既にやっていたことだと思う。俺でもリュック一個だけの荷物で2年間生きていたわけだから。
旅が終わって20年以上たつが、今、俺はミニマリストなのかというと、物は少ない方だとは思う。しかしガチのミニマリストなのかというとそこまではいっていない。むしろ、なりかけて途中でやめてしまった。
なぜならミニマリストを追求している時間と労力そのものが無駄だと感じたから。
物に囲まれていることをいちいち意識しながら生きるより、何も気にしないことが最強だと判断した。
これを「ミニマリストの向こう側」もしくは「ミニマリストの果て」またの名を「ミニマリスト終了のお知らせ」と俺は呼んでいる。
【推奨】旅が終わっても残しておきたいもの。それは記録です。
旅で使っていた愛用品は残っていないが、それ以外で意識して残したものがある。
それは、記録である。
旅の記録として残した「文章」と「写真」だ。(動画に関しては時代的に手軽に撮れなかった)
当時の日記帳はすべてスキャンしてデータで今も残している。写真のデータも残っているし、当時歩いた日本一周のルートを書いた地図も今でも大事に残している。
これらの記録を処分することは一生ないと断言できる。
文章に関しては、もともと本を出版するつもりで徒歩日本一周の旅に出たので、毎日必ず日記をつけていた。
それと同時に当時『歩きで日本一周日記』というホームページをやっていて(現在は閉鎖済み)、旅をしていた2年間、週一回の更新でエッセイのようなものを書いていた。
あの頃はSNSなどがなく、パソコンの知識がある人だけがホームページを作って発信できた時代だった。
俺はパソコンの知識がなかったので、ネットに詳しい友人にHPを作ってもらい、俺が旅先で携帯で文章を作ってメールして、友人がアップするというシステムで更新していた。
携帯はガラケーだったので、スマホのフリック入力などはなかったので、例えば「お」という字を打ち込みたかったら「あ」→「い」→「う」→「え」→「お」とボタンを連打してやっと「お」が打てる時代だった。
俺の本 「信じた道がいつか本当の道になるように―ガチで徒歩日本一周721日の旅―(彩雲出版)」は、元々の原稿は当時のホームページ『歩きで日本一周日記』がベースになっている。
加筆、修正なども含めて編集に関しては、旅が終わってからパソコンでやったが、ほとんどの文章は旅をしながらガラケーのボタンをひたすら連打して作った文章だ。今振り返ると、ガッツがえぐい。
旅が終わって20年以上たった今、当時の記憶はだんだん薄くなっていくけれど、文章に残したものは思い出せるレベルにある。逆に書かなかったことに関しては記憶からどんどん消えていく。記憶に残しておきたければ、「書く」という行為は必要だと思う。
文章はたくさん書いていたけれど、写真に関してはもっと撮っておけば良かったと反省している。
当時、デジカメを持ち歩いていたが、残っている写真の数は意外に少ない。
個人的には写真を撮るのも苦手だし、撮られるのも苦手なタイプだ。
一度、撮った写真でも気に入らないと思うと、容量がもったいないと思い、削除しまくっていた。
観光名所の写真を撮ろうとしても、大雨の日で写真を撮れる状況ではない時もあったし、空が曇っていてうまく撮れないことも多かった。
時には夏の暑さでデジカメのデータが大幅に消えてしまったこともあった。
実際に旅をしていると、しょせんは日本の景色なので、似たような景色が多く、わざわざ写真に撮るほどでもないなと思うことも多い。
たまに絶景の景色に出会った時にいつも感じていたのは、自分の目で見ている景色を写真に撮るとチープに見えてしまう気がすることだ。
それならば、写真の撮り方にこだわるよりもしっかり目に焼き付けておくしかないのかなと思っていた。
それまで俺は日本一周の写真を撮る時というのは、人に見せるために撮るものだと思っていた。
これを文章で例えると、人に読んでもらうための文章になる。
逆に日記みたいに「自分のために書く文章」があるように、「自分のために撮る写真」というのもある。
例えば、この写真を見てほしい。
今回の記事で旅をしていていた時の写真を探していた時に出てきたものだ。ハッキリいってこんなもん人に見せてもしょうがない写真である。
これは新潟で住み込みのアルバイトをしていた時に履いていた革靴だ。
お寿司屋さんでのホールのアルバイトのバイトが決まった後、「制服で仕事してもらうから黒の革靴を用意してほしい」と言われ、靴屋で一番安い革靴を買って仕事で履いていた。
なんでこんなにソールが剥がれているかというと、とにかく階段を走りまくっていたからだ。
店には調理場が二つあり、店内と二階に分かれていて、2階の調理場で下ごしらえしたものを1階の調理場に下ろしたり、1階で足りなくなったものを2階に取りに行ったりと、裏方で走るのも俺の仕事だった。
さすがにこの靴ではお客さんの前に出れないので、ガムテープで輪っかを作り、両面テープのようにしてソールを貼り付けて、何事もなかったようなすました顔で接客していた。
それを見かねた社員さんから、新しい革靴をプレゼントしてもらった。これは古くなった革靴を捨てる前に撮った写真である。
と、このように。
写真を撮ることで、その画像だけではなく、シャッターを切った時の前後の情景も含めて記憶としてよみがえる。
この写真を見返すと、
「そういえば革靴で仕事してたな」とか
「店員に一番安い革靴どれですかって聞いたな」とか
「接客の記憶しかなかったけど、裏方の仕事もしてたな」とか
「階段走るのきつかったな」とか
「履き慣れてない革靴で足痛かったな」とか
「そういえば社員さんに新しい靴を買ってもらったんだっけ」とか
閉じられた記憶の引き出しが次々に開かれていく。
ぶっちゃけ、この写真を見るまでは完全に忘れていた。
旅が終わって20年以上たってしまうと、写真に撮ったものは情景として記憶に残るが、撮らなかったものは情景を思い出すキッカケがないから記憶からどんどん消えていってしまっている。
今の時代、携帯で動画も簡単に撮れる時代だから、毎朝出発前に30秒でもいいから自撮りするのもいいかもしれない。
例えば
「今日の天気は曇りです。昨夜はここで野宿しました。車の音がうるさくて夜中に何回も起きました。今日はこれから◯◯を目標に歩きます。45キロぐらいになりますが、足が痛いけどがんばります」
こういう自分のためだけの記録をとる行為が、旅が終わってからも当時のいろんなことを思い出すキッカケになる。
だから推奨したい。どんな小さいことでも記録した方がいい。
誰かに見せなくても、自分だけの記録をしっかりとっておくことによって、旅が終わった後、それが自分にとってものすごく価値のあるものに変わる。
SNSなどで人に見せる文章や写真や動画も確かに必要だとは思うけれど、Twitterで名言を残そうとしたり、Instagramでばえそうなものだけに偏りすぎても良くないと思う。
本当に残すべきものは記憶だ。とはいえ、人の記憶は新しい情報を得るたびに古い情報は遠くの方へ追いやられてしまう。だから記録を残すべきなんだ。
旅をしていた時に使っていた愛用品は全て処分してしまったけれど、今思えば捨てる前に全部写真を撮っておけば良かったと後悔している。
徒歩日本一周から20年。
いつまでも覚えていることは当たり前じゃないし、覚えていることだけがすべてじゃない。本当は、覚えていること以外のすべては忘れてしまっているという事実に気付き始めた今日この頃。

大場祐輔 1981年生まれ。 大学在学中にプロレスラーの大仁田厚が「徒歩日本一周」に挑戦したことに衝撃を受ける。 卒業後すぐに「徒歩日本一周」に挑戦。
2003年、東京ディズニーランドからスタートし、毎日平均40キロの距離を歩き続ける。
旅先でお金が無くなれば、住み込みでアルバイトをしながら食いつなぎ、スタートから721日目の2005年3月22日、東京ディズニーランドにゴール。 徒歩日本一周をやり遂げた。同年11月より日本一周記の書籍化のために奔走。 数々の出版社に原稿を持ち込みを開始し、断られまくる。
それから5年後、出版が実現。 「信じた道がいつか本当の道になるように―ガチで徒歩日本一周721日の旅―(彩雲出版)」を出版。
「俺が断念したことを彼はやりとげた―大仁田厚さん推薦」
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